王将獲得者と振り返る王将戦
— 豚キムチ (@jgadmtlmdajgptw) January 2, 2023
升田幸三
第1期
当時の王将戦はA級上位者しか参加できない仕組み
見事リーグ戦を勝ち上がった升田と、当時名人の木村義雄で王将位を争う
5-2(不戦敗1つ)で升田が第1期王将となる
有名な陣屋事件はこのとき発生
このムチャクチャなスコアから色々察してほしい
続く
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たとえ名人でも王将戦では駒落ちの下手となる可能性があるというルールだった。
当時名人と言うと、八段になったらやっと、香落ちで指せるというくらいの雲の上の存在だったから、名人を傷つける棋戦でもあった。
初代王将には、無敵の木村義雄14世名人が就いたが、第1期で挑戦者の升田幸三八段(当時)が4勝1敗で王将位を奪取した上に、第6局で香落ち戦が実現することになったのだった。
この時、対局場の神奈川県鶴巻温泉『陣屋』に行った升田が、呼び鈴を押したが誰も出てこないという理由で、対局を拒否したのが有名な「陣屋事件」だ。この事件はやがて、日本将棋連盟を二分して、あわや分裂というところまで行く、大問題となっていく。
香落ち戦で有名なのは、第5期に升田が当時の大山康晴名人を指し込み、香落ちで名人に勝ってしまったことだ。この後、升田は初の三冠王となる。
しかし第7期に大山に王将位を奪われてからは、升田は一度も挑戦者となることはなく、香落ちで負けた大山のリベンジは実現しなかった。
(ZAKZAK)
(出典 @X93F3k10egd3Izh)
Dr.Latest Oracle
@X93F3k10egd3Izh今、youtube 見てるけど戸辺チャンネルで嘘言っちゃいけないよ。升田幸三の陣屋事件の真実を本当に知らないで解説なん*るくらいなら俺が代わりに解説した方がいい。当時の将棋界はスポンサーがほぼ新聞社だけだったから升田はスポン… https://t.co/ovXoCE4CQi
(出典 @hanjurou)
森 半十郎
@hanjurou上宮田の陣屋に居たという伝承があるが陣屋の役人と偽った人物を津久井村で泊めたのが問題になった記録がある事件を知っていながら陣屋勤めとホラを吹くかなぁ
(出典 @apout1992)
おがちゃん
@apout1992『読切倶楽部』1953年4月号東宝作品の「午前零時」の紹介記事。關西将棋界の雄将竹田弁吉八段の義理の娘映子と弁吉の宿敵玉木名人の息子達也の恋物語。井上友一郎脚本。竹田が対局拒否する事件が起こるらしく、陣屋事件の世間一般への影響が… https://t.co/9JHgU55mJc
(出典 @shogibot)
将棋ぼっと
@shogibot強がりが雪に轉んで廻り見る(升田幸三。陣屋事件が収まった後、陣屋への色紙に)
(出典 @kaidouchiwami)
chiwami
@kaidouchiwami陣屋事件に出てくる鶴巻温泉の光鶴園。雑誌に広告を掲載している。昭和26年。娯楽に「将棋」が含まれているな。https://t.co/KPyczVyLWv #国立国会図書館デジタルコレクション
(出典 @yanagi_nihonshi)
柳蓮二日本史bot
@yanagi_nihonshi【生田万の乱】(いくたよろずのらん)1837年6月に国学者生田万が桑名藩領越後国柏崎で起こした事件。「大塩の門弟」を名乗り、窮民救済の金品を撤廃、ついで柏崎陣屋を襲撃したが敗死した。
(出典 @yanagi_nihonshi)
柳蓮二日本史bot
@yanagi_nihonshi【生田万の乱】(いくたよろずのらん)1837年6月に国学者生田万が桑名藩領越後国柏崎で起こした事件。「大塩の門弟」を名乗り、窮民救済の金品を撤廃、ついで柏崎陣屋を襲撃したが敗死した。
(出典 @yanagi_nihonshi)
柳蓮二日本史bot
@yanagi_nihonshi【生田万の乱】(いくたよろずのらん)1837年6月に国学者生田万が桑名藩領越後国柏崎で起こした事件。「大塩の門弟」を名乗り、窮民救済の金品を撤廃、ついで柏崎陣屋を襲撃したが敗死した。
(出典 @shogibot)
将棋ぼっと
@shogibot強がりが雪に轉んで廻り見る(升田幸三。陣屋事件が収まった後、陣屋への色紙に)
(出典 @yanagi_nihonshi)
柳蓮二日本史bot
@yanagi_nihonshi【生田万の乱】(いくたよろずのらん)1837年6月に国学者生田万が桑名藩領越後国柏崎で起こした事件。「大塩の門弟」を名乗り、窮民救済の金品を撤廃、ついで柏崎陣屋を襲撃したが敗死した。
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